PEOPLE

木を通して 人とつながり、育っていく

奈良県の中部に位置する吉野町。

 

日本ならではの魅力がたっぷり詰まっていて、

万葉集には吉野を題材とした歌が数多く詠まれているほど。

美しい千本桜を観に行ったことがあるという方もいらっしゃるのでは?

 

そんな歴史ある町に地域おこし協力隊員として二年前の春に移住してきた橋元 美穂さん。

なぜ吉野町という場所を選んだのか、またどのような活動をしているのか。

その思いを聞かせてもらいました。

 

 

大阪府岸和田市生まれ。吉野町在住。

高校や芸術大学でビジュアルデザインを学んだあと、

教育玩具・育児用品の輸入販売会社に販売員として就職。

 

退職後、子どものための木製玩具・雑貨ブランド「esora」として活動しながら、

2016年4月に吉野町に移住し、吉野町地域おこし協力隊員となる。

 

 

“なんでないんだろう?”疑問から行動に

 

(合田)

地域おこし協力隊員として木育を推進する活動をされているとのことですが、

元々デザインをずっと学ばれていたんですよね?

 

(橋元さん)

はい。高校・大学とデザイン関係の勉強をしていたんですが、

デザイナーにはなりませんでした。

 

就職活動をしている時に、子どものための仕事がしたいと思うようになり、

輸入のおもちゃを販売している会社に就職することにしたんです。

 

そこで外国の知育玩具に触れているうちに

なぜ日本にはこんないいおもちゃがないんだろうと思うようになり…

 

自分で日本の木を使って日本の子供に合うおもちゃを作りたい、とその会社を退職。

しばらくは実家のある大阪でおもちゃを作っていました。

 

 

(合田)

ないから自分で作ろう!と思うパワーがすごいですよね。

日本にはないんだな、で終わらせない精神というか。

 

(橋元さん)

日本の木にこだわって作っているメーカーも探してみたんですけどなかったんですよね。

個人作家さんがほとんどで。

 

自分で作り始めてから、技術的にまだまだだと感じ、

奈良県の職業訓練校で一年間家具や木工について学びました。

 

木工を専門的に教えている訓練校が

近畿圏でその時通える距離にあるのが奈良しかなくて。

 

 

 

(橋元さん)

そこからの繋がりで卒業後すぐに吉野町の地域おこし協力隊員になったんです。

 

職業訓練校で木工を学んでいた方が先に

吉野町の地域おこし協力隊員になっていたこともあるんですが、

ちょうど吉野町が“ウッドスタート宣言”をして

「木育」や「木のおもちゃ」に関する協力隊の募集があると聞いて。

 

(合田)

ウッドスタート宣言ですか?初めて聞きました。

 

(橋元さん)

日本グッド・トイ委員会が展開している、

木の温もりを感じながら、豊かに暮らしを送ることができるようにしていく取組みのことなんです。

 

全国の自治体や企業などに地域材を使った木製玩具を誕生祝い品としてプレゼントする事業や、

移動おもちゃ美術館「木育キャラバン」の開催などを展開しています。

 

このファーストトイもまさしくそう。

吉野町で生まれた赤ちゃんには、

町内の職人さんが吉野材で作ったおもちゃを贈っているんです。

 

 

子どもの時から本物に触れて、育てられる環境

 

(合田)

出生届を出すと、吉野材で作られたおもちゃがもらえるんですか!

赤ちゃんが初めて出会うおもちゃが日本のもの、

しかも本物の木材というのはうれしいですよね。

 

(橋元さん)

そうなんです。

ファーストトイこそ地産地消。

感性豊かな乳幼児期の五感に、程よい刺激を与える木のおもちゃ。

もっともっと木育を広めていきたいと思っています。

 

わたしは今このファーストトイ事業の町内の分を担当していて、

役場で申し込んでいただいた方に保健センターでおもちゃを手渡したり、

お母さんに木に関するお話をさせてもらっているんです。

 

渡すだけではなく、木のまちだからこそ木のことを知ってほしいなと。

近畿で一番最初にウッドスタート宣言をしたのは吉野町ですし。

 

 

(橋元さん)

あとは吉野町内の木育をまとめた制作物をデザインしたり、

こども園や小学校の木育(図工の)授業も他の協力隊に手伝ってもらい支援しています。

 

地域おこし協力隊員の任期は三年。

残り一年の任期ですが任期が終わった後も

吉野町の木育が継続していけるように関われたらと思っています。

 

吉野町で育つ子どもたちは、

こども園で卒業記念に木製たてをもらったり、

小学校で手漉き和紙の卒業証書を作ったり、

桜を種から育てて植樹したり、

年齢に応じた木のふれあいをずっと積み重ねていて。

 

こういう地域の人たちが関わっている素敵な木育活動の認知度を

もっと高めていきたいですね。

 

(合田)

橋元さんが経験されてきたデザイン、子どものためのおもちゃ、

木工全てがうまく合わさっていますよね。

 

移住する前から個人として活動されていた木製玩具・雑貨ブランド「esora」は、

何からインスピレーションを得られているんですか?

 

 

 

(橋元さん)

子どもがおもちゃで遊んでいる様子を観察して、

こんなものがあればもっと遊びが広がりそうだなと思うものを形にしています。

 

あとは、自分がこのおもちゃで子どもと一緒に遊びたいと思えるか。

自分自身が遊ぶことが好きですね。

 

先日は木のおもちゃの伝統的な技法など学ぶためドイツに行ってきました。

やっぱりヨーロッパは木製玩具の歴史が古いので日本にはない発想がありますね。

ろくろを使った動物の木のおもちゃを作る技法は200年前ぐらいからあるんです。

 

それでも伝統だけに縛られることなく、

新しいものを開発している姿勢は学ばないといけないなと思いました。

 

 

(橋元さん)

今後は「esora」として自分がデザインしたおもちゃの販売も続けていきたいですし、

教育現場の木育に関わることや木工ワークショップも今後も続けていきたいです。

 

自分たちの生活の中に木でできているものがあっても、

それがどういう人たちが関わって今そこにあるのか、

どんな風にできたのかを知らない人がほとんど。

わたし自身も勉強するまで全然知りませんでした。

 

木はわたしたち人間とは比べ物にならないぐらい時間がかかってできていて、

それを大切に育てている人や、加工している人がいる。

 

木を通して人とつながり、育っていく。

わたしが吉野に来てから感じていることですけど、そういったことを知ってもらいたいですね。

 

 

 

 

“なんでデザインばっかりやっているんだろう”と悩み、

一度は作ることから離れて、販売員として働いていた橋元さん。

 

でもその時に感じた疑問をきっかけに

自分でできることならやってみようと、また作ること、伝えることをスタート。

 

「やっぱり作ることが好きだったんですよね」

と笑いながら明るく話してくれる姿に、

インタビュアーのわたしがパワーをもらいました。

 

木育を自分事として捉えて前に進む橋元さん。

今後の活動も目を離せません。

 

 

 

text by  saki goda.